昨年長女Sunが幼稚園の年少さんになり、七夕の行事についてのお話を幼稚園で教えてもらってきました。
なんて・・・子どもの発想は自由ですね~w
七夕の起源は星伝説が有名ですが、笹飾りを飾ったり、
そもそも「七夕」って書いて「たなばた」とは素直に読めないですよね、それには理由があったんです!!
七夕の起源の七夕伝説は3つあった
七夕は江戸時代には「しちせき」と言われ、五節句のうちのひとつです。
笹の節句とも呼ばれ、笹飾りとお供え物をして夜空の星に祈りを捧げる・・・なんともロマンチックなイベントの「七夕」
五節句(江戸時代に重要な年中行事として年に5日の祝日として制定されたもの)
- 1月7日→人日(じんじつ) 別名:七草の節句
- 3月3日→上巳(じょうし) 別名:桃の節句
- 5月5日→端午(たんご) 別名:菖蒲の節句
- 7月7日→七夕(しちせき) 別名:笹の節句
- 9月9日→重陽(ちょうよう)別名:菊の節句
旧暦のお盆(7月15日前後)の前に、身を清めるみそぎの意味をもつ年中行事のひとつでした。
しかし、明治時代に新暦でお盆が8月15日前後になってからは関連性が薄れてしまったようです。
さて、Sunの幼稚園でも先生からお話があったように、
広く知られているのは織姫と彦星の夫婦が引き離されるお話の「星伝説」です。
これは中国由来のお話。
実際の夏の夜空を見上げてみましょう。
織女星はこと座の1等星「ベガ」を指し、
牽牛星はわし座の1等星「アルタイル」のこと。
この二つの星は、西洋でも一対の星としてみられています。
この二つの星と、天の川を飛ぶはくちょう座の1等星「デネブ」を結んで「夏の大三角形」ですね。
星伝説と一緒に中国から伝わったのが、ちょっと聞きなれないですが「乞巧奠(きっこうでん)」
この二つの伝説が奈良時代に日本に伝わってきました。
そしてこれに、日本古来の「棚機津女(たなばたつめ)伝説」が結びつき宮中で行われたのが起源と言われています。
さて、それぞれの伝説の内容を詳しくみていきましょう(*^▽^*)
七夕の起源の七夕伝説を子供向けストーリーで語る
では、それぞれの伝説を子供向けストーリーにするとどうなるでしょうか?
星伝説
むかしむかし天帝という神様が天上界を治めていたころのお話・・・。
天の川の西の岸に天帝の娘、織女(しょくじょ=織姫)が住んでいました。
彼女の織る生地は、色や柄も素晴らしい上に、着心地は軽く、それはそれは見事なものでした。
しかし、そればかりに没頭する年頃の娘を心配した父、天帝。
仕事ばかりでなく、もっと広い世界を見て楽しんでほしいという親心でしょう。
娘にふさわしい結婚相手を探します。
そこで目にとまったのは、天の川の東の岸に住む牛飼いの若者、牽牛(けんぎゅう=彦星)。
まじめで働き者の牽牛は、天帝の娘婿候補のお眼鏡にかなったのですね(*^▽^*)
天帝は二人を引き合わせます。
織女も働き者で誠実な牽牛を気に入り、二人は結婚して夫婦となりました♡
しかし・・・
新婚の二人はたいへん仲が良く、仕事そっちのけで毎日天の川のほとりでおしゃべりばかり。
全く仕事をしなくなってしまったのです( ゚Д゚)
天帝:お前たち、仲がいいのも結構だが仕事をしたらどうだね?
2人は「はい、明日からやります」・・・というものの口ばかり。
織女が布を作らなくなったために、天上界には新しい布が届かず。
牽牛が牛の世話をしなくなったので、牛たちは痩せ衰えていってしまいました・・・・
この様子に激怒した天帝!
とうとう2人を天の川を隔てて別居させるという、引き離しにかかりました(ToT)/~~~
そして、年に一度7月7日の夜にだけ天の川を渡り会うことを許されました。
2人はこの日を心待ちにして天の川の両側で光り輝いています・・・☆
これが中国のかの有名な「星伝説」ですね。
では、マイナーな方の「乞巧奠(きっこうでん)」とはどんな行事として中国では行われていたのでしょうか?
乞巧奠(きっこうでん)
七夕は、中国ではもともと裁縫の上達を祈る日でした。
というのも、織女は機織りを司っている「手芸の神様」とされていたのですね。
「星伝説」とともに織女が天上にのぼる7月7日に庭先に祭壇をつくり、
針やお供え物をし、歌を詠んだ短冊を飾り、手芸の上達を祈ったと言われています。
これが日本に伝わり、宮中や貴族の家で行われるようになりました。
宮中では清涼殿の東の庭にむしろを広げ、机を4脚並べ、果物などを供え、ヒサギの葉1枚に金銀の針をそれぞれ7本刺し、
五色の糸をより合わせたものを針穴に通したものを準備。
天皇は、一晩中織姫と彦星が会えることを祈ったとか。。
また『平家物語』によれば、貴族の間では願い事をカジの葉に書き願掛けし、
内容は、裁縫(女子のたしなみとして必ず身につけておくべきことだった)だけでなく、書道などの芸事の上達も願うようになっていったようです。
一般庶民が七夕に五色の短冊をつるした笹竹を飾る様になったのは、江戸時代になってから。
寺子屋が普及し、習字や習い事の上達を願う風習が、乞巧奠(きっこうでん)の行事と重なって広まっていったのですね。
もう一つのストーリーは日本古来のものからです。
棚機津女(たなばたつめ)伝説
日本では昔からご先祖様の霊をまつるため、機織りをして織りあがった布をご先祖様の霊に捧げる行事がありました。
この布を織る女性を「棚機津女(たなばたつめ)」とよびました。
7月7日を前に、村から一人代表の女性が「棚機津女(たなばたつめ)」として選ばれます。
棚機津女として選ばれた女性は7月6日に水辺の機屋(はたや)に入り、7月7日の夕方までに織物を仕上げ、それを棚において機屋を出ます。
7月6日に訪れた神は翌7日の夕方に帰るとされていたからです。
このとき水辺で禊ぎ(みそぎ)を行うと、神は町や村に豊穣をもたらし災いを持ち去るといわれ、そこで祭祀が行われるようになったのです。
これが「七夕」を「たなばた」と呼ぶようになった起源なんですね。
まとめ
七夕の起源は3つの伝説から成り立ったものでした。
働き者だった織姫と彦星ですが、結婚した途端に仕事そっちのけで遊び呆けた結果、神の怒りにふれ、引き離されてしまう。
そして1年に一度7月7日の夜にだけ会うことを許された・・・という伝説。
夏の夜空の代表「夏の大三角形」にも登場していますね。
手芸の神であった織女星が、天に昇る7月7日に合わせて手芸の上達を祈った行事。奈良時代に星伝説と合わせて日本に伝わり、宮中行事として行われたり、貴族の間で願掛けをするもとになっています。
江戸時代にはそれが一般庶民にも広まり、五色の短冊を笹竹に飾る様になりました。
先祖の霊を祭るとともに、神に五穀豊穣と災い除けのために備える布を織る「棚機津女(たなばたつめ)」から「七夕」が「たなばた」とよばれる起源になっているのです。
あなたは笹飾りには、どんな願い事を書きますか?
願い事は書くだけで満足してはダメですよ~!!
書いたことを鮮やかにイメージすることで、格段に叶う確率は高くなります(=゚ω゚)ノ
欲張りな願いごとだって大丈夫♪たくさん書いて、楽しいイメージを膨らませましょう~(*^▽^*)
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