宮迫博之氏の引退騒動はなぜ起きた?動物占いで占う!

 ここ1か月ほど、「闇営業」問題として、吉本興業所属の芸人さんが反社会的勢力との関りが明るみに出て問題になっていましたね。
その筆頭であった宮迫博之さんや田村亮さんが、吉本興業から契約を解除されるとともに、会見を行うという流れになりました。

この一連の騒動はなぜ起きたのでしょうか?
宮迫博之さん、の性格や特徴を動物占いや数秘術で占ってみたいと思います。

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宮迫氏らが語った一連の騒動の流れは?

 宮迫さんと田村さんが7/20に行った謝罪会見見ましたよ、2時間半?
二人がそこで語った、一連の騒動の流れは以下のようでした。

2014年某。宮迫さんと田村さんはカラテカの入江さんと一緒に飲んでいました。
そこで入江さんから「知り合いの結婚パーティにでてもらえないか」と誘いをうけた二人。

宮迫さんは、もう既にかなりお酒に酔った状態であったため「行けたら行くわ~」と軽い返事。
入江さんは「ギャラが出ますから。亮さんが50万で、宮迫さんが100万」だと言ったそうです。
亮さんは「大丈夫か?そんな大金払えるところは。」と懸念を示します。

しかし入江さんは「僕がやる 吉本の会社を通したイベントに付いてくれているスポンサーなんで、そこは安心です」と返事をしたそうです。
亮さんは「吉本が絡んでいるなら大丈夫か」と安心したそうです。

そして、そのパーティに行ったそうなのですが、参加したのは最後の10~15分程度だったとのこと。
 そのパーティには家族連れも何組もいて和やかだったらしく、いわゆる「こわもてのヤクザさんの集まり」というような雰囲気ではまったくなく、「反社会的勢力」であることには全く気づけなかったと話していました。

そのパーティのギャラの100万円についてですが、それを受け取る時期と年末の忘年会の時期が重なっていた時期。
 入江さんも参加する宮迫さん主催の忘年会が開かれた時にその100万円のギャラを忘年会の費用に充てたそうです。(ただし、おつりを受け取ったことは亮さんが確認していました)

100万円というと、私のような一般庶民には大金ですが宮迫さんにとっては10万円程度の頻繁に出入りするような額だったそうです。

 宮迫さんのなかでそのお金は入江さん含め、後輩たちに還元した=自分は受け取っていない、という自己保身の認識にすり替えたのです。
 これが事件発覚当初「金銭の授受はない」という嘘につながりました。
この初動対応のミスが騒動をここまで大きくした原因でしょう。

宮迫さん自身記者から、過去の自分に戻れるとしたら・・・?との質問に「殴ってでも、本当のことを言わせています」と言っていました。

以上がこの引退騒動の発端となった事件の流れです。
さて、宮迫さんとはどんな人なのでしょうか?動物占いで占ってみます。

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宮迫博之氏の性格や特徴を分析

宮迫さんは動物占いの本質に当たるキャラは「人間味あふれるたぬき」です。

 このキャラの特徴は、礼儀正しく「誠実・勤勉・実直」をモットーとした柔和で温厚な人柄です。
 たぬきキャラは、物忘れが激しいのも大きな特徴。しかも大事なことから先に忘れてしまうんです。
 思考の軸が相手軸なので「はい!」と返事のよいにもかかわらず、大事なことはすぐに忘れてしまうので、無責任とも思われてしまいます。

 今回の宮迫さんもカラテカの反社さんから誘われて反社会的勢力の団体と関りをもったことも、お金を受け取ったことも、大事なことは全部忘れてしまっています。入江さんだったり、亮さんだったりの記憶を助けに事実確認をして、何とか思い出していました。
 それは、自己保身のためというかキャラの特徴からいっても、事実なのでしょう。

 仕事に対しては、コンビではこれまで宮迫さんの決定に対して蛍原さんが「うん、ええよ」という感じでついてきてくれた、と言っていました。
 宮迫さんのキャラ的に言っても決断が早く無駄に時間を費やすことがありません。経験にもとづいた合理的な方法でテキパキと行動し、機敏に物事を処理していきます。

動物占いには本質にあたるキャラの他に他人の前で演じるキャラ「表面キャラ」があります。
宮迫さんは狼です。

 宮迫さんはキレ芸をしてブレイクしていきますが、人とはちょっと違う視点でオリジナリティを持っているところ、そして仕切りが上手なところはまさに狼キャラの特徴ですね。

 さて、そんな宮迫さんですが一見ささいなこの事件が、なぜこのような騒動にまで発展していったのか運気を見ていきたいと思います。

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引退騒動はなぜ起きた?運気の流れを読む。

個性心理學では「トキのリズム」と言って、運気の流れを読む方法があります。
春夏秋冬があるように、人生にも一定のリズムがあります。

10のステップに分かれて運気は繰り返していきます。
「整理」「学習」のトキは「開墾期」で大地を掘り起こして、耕し種をまくトキ。
「活動」「浪費」のトキは「発芽期」で開墾期にまいた種が目を出しますが、土からでた芽はひ弱で、もっともエネルギーを必要とする次期。

 その次にくるのが「調整」「焦燥」のトキ。土から出た芽がどんどん成長していく時期です。
そして「投資」「成果」の「開花期」が訪れます。これまで強く大きく成長させてきたところに大輪の花を咲かせる時期。
 最後に「転換」「完結」という「収穫期」を迎え、種をとりまた新たなサイクルへと準備する時期でもあります。
以上が運気の流れですが、宮迫さんの例で見てみましょう。

宮迫さんは、高校卒業後安定した職業を目指し、警察官になろうと採用試験を受けるも不合格となり、NSC(吉本総合芸能学院)に入りました。
1989年蛍原徹さんとコンビ結成したのは「開墾期」にあたる「整理」のトキでした。二人で「雨上がり決死隊」を育てていきます。
1990年代前半はお笑いユニット「吉本印天然素材」でナインティナインとも活動し、宮迫さんはリーダー格、若い女性を中心に人気になっていきます。
そして、後輩だったナインティナインに少し遅れて、1996年に東京進出してきます。
 ちょうど「収穫期」にあたる「転換」のトキで、それまでの人生から学びを得て、あらたなステージに入る時期でした。

 しかし、なかなか芽が出ないままにくすぶり生活も苦しく、自殺まで考えたほどだった苦しい時期を乗り越えて、やっとブレイクしたのは東京進出から3年後の1999年のこと。

ダウンタウン「ガキの使いやあらへんで!」の番組で、台本にはない突然松本さんの頭をわしづかみにする、という宮迫さんの捨て身のパフォーマンスが大うけして、仕事がジャンジャンはいるようになりました。
 この時期宮迫さんの運気は「学習」という開墾期で、それまでの経験を活かして貪欲に学び、吸収すれば運気上昇する時期でした。
 運気と性質がうまくマッチした結果、仕事は軌道に乗り始めます。

 演技もできたことからドラマ出演もし、歌も歌える、司会は上手、というマルチぶりはたぬきキャラの求めに応じてどんな風にも化けられるという性質でもありますね。

 しかし、こう順調すぎるとやはり驕りが出てきてしまうのが、人間の弱さです。
 スタッフへの態度が横柄だとかいう話もちらほら出始めます。

それを戒めるべく発覚した事態が2012年の「胃がん」でした。成長期にあたる「調整」のトキ。
まいた種が芽を出して、どんどん成長していくエネルギー消費の激しい時期で体調的にも負担のかかる時期でした。
 これは、いままでの在り方を考え直す時期でもありました。

2013年に復帰されますが、宮迫さんは「胃がん」からの学びはあまり活かされなかったように思います。
 自分の在り方を変えないままに復帰していったのが「焦燥」のトキです。ただでさえ焦りが強い時期に復帰したので、これまでの遅れを取り戻すべくガムシャラに行動されたのでしょう。
 そして迎えた2014年に今回の入江さん勧誘の結婚パーティ事件があります。

自分の在り方を変えないまま、成長期から収穫期に入ります。
ちょうどその時期に不倫疑惑があり、会見していますね。
ここでも、在り方を見直しなさい、というお知らせ現象がきています。

それでも、学ばなかった宮迫さんは、とうとうこの「学習」という反省材料が顕在化する2019年にこの騒動が発覚しています。

芸能界で生きていけるかどうかのギリギリの線まで迫られることになっています。

幾度もあったお知らせ現象から学びを活かせなかった結果の最終通告とも言えるかもしれません。

では、宮迫さんはどうすればよかったでしょうか・・・?

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下座の行を忘れると人の気持ちが分からなくなる

人に何かを教えたり、仕切ったり、リーダーシップをとるなど前に立つことを「上座の行(じょうざのぎょう)」と言います。

反対に、場を整える掃除をしたり、人のために奉仕をしていくことを「下座の行(げざのぎょう)」と言います。

下座の行をすることによって、自分の無力さや人のありがたさや、感謝を感じることによって、「こんなことが喜ばれるかな」「これをしたら役立つかな」という人の気持ちが分かるようになります。

 哲学者で教育者であった森信三氏という方が「下座行」についてこう語っていらっしゃいました。

「すべて物事には、基礎とか土台とかいうものが必要です。
土台のしっかりしていない家は、平生何ともないように見えても、いざ地震となって一揺りくると、すぐに傾くのです。


われわれ人間も、どうしても真実を積まねばならぬわけですが、事を積むにはまずその土台から築いてかからねばなりません。


では人間を鍛えていく土台は、一体どういうものかというと、私はそれは「下座行」ではないかと思うのです。


すなわち下座行を積んだ人でなければ、人間のほんとうの確かさの保証はできないと思うのです。


いかに才知才能に優れていようと、どれほど人物の立派な人であっても、下座を行じた経験を持たないと、どこか保証しきれない危なっかしさの付きまとうのを、免れないように思うのです。


ここで「下座行」というのは、自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。
しかもそれが「行」と言われる以上、その地位に安んじて、わが身の修養に励むことを言うのです。


そしてそれによって、自分の傲慢心が打ち砕かれるわけです。


すなわち、身はその人の実力以下の地位にありながら、これに対して不平不満の色を人に示さず、まじめにその仕事に精励する態度を言うわけです。


これを「下座を行ずる」というわけです。


もちろん人によっては、自ら進んで下座の行を行ずる人もあって、たとえば一灯園などへ入って修行するがごときは、これに当たるわけです。


しかし一般的には社会がその人を、その真価の通りに遇しない場合にも、何ら不平不満の色を示さないばかりか、それをもって、かえって自分を磨き、自分を鍛えるための最適の場所と心得て、これを生かしていくという、いわば受動的消極的な場合が多いでしょう。
たとえば世間にしばしばあるように、自分よりつまらない人間につかえ
て、何ら不安の色をみせないということなども、一種の下座行と言ってよいわけです。


人間というものは、かような立場に身を置いてみて、初めて真に人間的鍛錬を受けることができるのです。


現在の諸君は真の下座行は、ちょっとできない境遇にあるでしょう。
大方の諸君は恵まれすぎているのです。


しかし、正式の下座行にはならなくても、常にこの点に心を用いて、たとえば下級生のすべき仕事の一つ二つを、人知れず継続するというようなことなどは、一つの工夫ではないかと思うのです。


とうぜん下級生のすべき仕事を、上級生たる諸君がしてみて、始めてそこに深い味わいが出てくるのです。


あるいは便所などで、人の粗相のあった場合など、人知れずこれを浄めておくとか、
また教室の机の中の鼻紙を、人知れず捨てるなどということを、自分の下座行としてやろうという決心をしますと、あの鼻汁でじくじくぬれているような鼻紙でも、かえってそこにしみじみとした身にしみるものがあるのです。


このように人間というものは、平生、事のない場合においても、下座行として何か一つ二つは、持続的に心がけてすることがなければ、自分を真に鍛えていくことはできにくいものです。


たとえば掃除当番の場合などでも、友人たちが皆いい加減にして帰ってしまった後を、ただ一人居残って、その後始末をするというようなところに、人は初めて真に自己を鍛えることができるのです。


それが他から課されたものではなく、自ら進んでこれをやる時、そこには言い知れぬ力が内に湧いてくるものです。


そこでこうした心がけというものは、だれ一人見るものはなくても、それが五年、十年と続けていくと、やがてその人の中にまごうことなき人間的な光が身につき出すのです。


世間の人々の多くは、世の中というものは当てにならないものだと申します。


しかし私は、世の中ほど正直なものはないと考えているのです。


ほんとうの真実というものは、いつかは輝きだすものだと思うのです。


ただそれがいつ現れ出すか、三年、五年にして現れるか、それとも十年、二十年たって初めて輝き出すか、それとも生前において輝くか、ないしは死後に至って初めて輝くかの相違があるだけです。


人間も自分の肉体が白骨と化し去った後、せめて多少でも生前の真実の余光の輝きだすことを念じるくらいでなければ、現在眼前の一言一行についても、真に自己を磨こうという気持ちにはなりにくいものかと思うのです。」

森信三「修身教授録」2第22講より

身に沁みますね・・・。

下座行のない上座の行はカルマを積みます。下座行をしていくと、自分のエゴの部分がどんどん削られていきます。

宮迫さんは今後の活動で詐欺被害を未然に防ぐような啓もう活動をされたいとおっしゃっていました。

そのマルチな才能を生かして、どうか世の中の人を笑いで和ませたり気づきを与える存在になってもらいたいです。

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まとめ

宮迫さんの一連の騒動を、動物占いを通して見てみました。
キャラを活かし、運気に乗ってお笑い界で一定の地位を得てきた宮迫さんですが、上座の行に傾きすぎたための騒動だと解釈しました。

世間の声には潔く引退すべき、との声もあります。
しかし、人は過ちを犯し、失敗するものです。失敗から学ぶからこそ人生には深みがでるのではないでしょうか。
失敗を許さない、過ちを犯したものは排除する・・・そんな窮屈で冷たい社会であってほしくない、一母親としてそう願います。

そして、森氏のおっしゃるような下座の行にはやりすぎはありません。いつでも心がけておかねばならないな、と自分を戒めました。

以上、長文になりましたが、この記事があなたの何かに役立てば幸いです。



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